途中式
こんにちは、石嶌之広です。
秋になりました。
家の小庭には夏に植えた茄子が今も元気に育っています。
ガサット半分に切って焼いても、細かくしてお味噌汁に入れてもおいしいです。
そしてピーマンも健在。
ピーマンは赤くなってからもおいしいです。
がっちり食べてしっかり運動の秋です。
さて今回のお話は、数学計算の途中式についてです。
簡単にお話いたします。
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途中式を書かない生徒
夏の合宿では、全国からいろいろな状況の生徒がやってきて勉強していきました。
その中で、数学の計算で途中式を一切書かない生徒が2名。
いずれも数学が得意科目です。
途中式を書くことを指示すると怒りだしました。
「簡単に解けるのに書く必要がない」
二人ともそう言っていましたが、無理やり書いてもらうと
「書けない」のです。
書いたことがあまりないので、どうやって書いたらよいかわからないという状況でした。
いままで書かずにきても計算に関しては、ほぼ間違いなくできてきたのでそれで良しとしてきたわけです。
二人は、それぞれ違う日程で参加していますので、合宿中での接点はありませんが、
そろぞれの普段の環境には共通点がありました。
それは通っている塾が、教室はちがうけれども同じ塾だったということでした。
二人とも、その塾では、できる計算は、時間を短縮するためにいちいち途中の式を書く必要がないと指導を受けていたと言っていました。
確かに入試の時は、指定がなければ書く必要がありません。時間短縮のため書く必要がないという指導もわかります。
しかし普段の学習でもそうなのかというと本当にそうなのか疑問ですね。
そこで調べてみました。
嘘でした
すると、その塾のホームページにある家庭学習の方法に
「必ず途中式などを書くように指示をしてあげてください」
と保護者へのアドバイスがありました。
その他にも、何かの企画でその塾の管理職が同じく、途中式についての指導を話している記事がありました。
ただ単に、本人が「書くのがめんどくさい」というだけのことでした。
途中式書く必要があるのか
さて、計算の練習で、簡単に解けてしまう計算の時に途中式を書く必要が本当にあるのかどうかになりますが、
これは塾でも結構意見が分かれます。
「書く必要がある、書ける力をつける必要がある」という意見が多いのですが、
「出来るなら、かえって指導に都合がよい」というような意見もあります。
これは、極端ですが「出来なくなったら知らないよ、自力で出来るようにしてね」ということが含まれます。
「出来る」という前提で学習を進めるということです。
途中式を書くことができない場合は、いずれどこかで躓く可能性が高くあります。
どこでそれが起きるかわかりませんし、起きないかもしれません。
その「起きない」に賭けて指導をしていくこともありということです。
さて、私の教室ではどうか
私の教室では、書けるように指導します。
そして「書かない」という選択を頑なにする生徒の場合は「指導しない」を選択します。
近隣の子であれば
「できるなら、かえって指導に都合がよい」と考える先生がいる塾に行くようアドバイスします。
遠方から来ている合宿生であれば、数学の学習はしないという選択になります。
さて、夏の合宿に来た生徒の場合は、一人は書くように強制、そして書けるように指導しましました。
もう一人は、数学の指導はお断りして英語だけ指導としたかったのですが、
保護者の強い希望があって図形などの簡単な足し算引き算しかないところだけ指導。
日常をかなり我儘に過ごしている生徒に超短期の指導機会という状況なのでやむを得ないところがあります。
そして保護者の方には
「今通っている塾のどこの誰がそのような指導をしたのか突き止める必要がありますね」
とうお話しもしましたが、実際のところは、本人の「書くのがめんどくさい」が根本にあるだけ
ということを説明させていただきました。
「途中式を書く」について、再学習した夏でした。
計算の途中式とプログラミング
「途中式を書く」はプログラミングの思考に似たところがありますね。
プログラミングと違うところは、計算の場合は、書かずに飛ばしても解があっていれば良しに
なりますが、プログラミングの場合は、書かなければ動かないというところです。
どうしても書けるまで思考し続けなければなりません。
途中式を書かない、書けない場合は、高校学習の途中で行き止まりとなる可能性が大です。
その瞬間から「どうしたらよいかわからない」になります。
学習者の「めんどくさい」に合わせて「書かなくてよい」という選択は一切しないことが大切ですね。
簡単にしようと思いましたが、何やら長くなってしまいました。
今回は、以上です。