自分の頭で考える

情報の質と行動

教室のトイレットペーパーがあと1本になりました。

そういうことで、武田先生がトイレットペーパーを買いにドラッグストアーに行ったところ、すごい人。

そしてトイレットペーパーの棚は空っぽだったということで買ってくることができませんでした。そのためあと少しで教室のトイレットペーパーが無くなります。

普段はトイレットペーパーを沢山買うことがない人が、突然大量にトイレットペーパーを買った。トイレットペーパーがなくなるというデマがその現象を起こしました。

この時、家に在庫があるのにも関わらずドラッグストアーにトイレットペーパーを買いに来た人全員がデマに騙されていたのではなく、デマでトイレットペーパーが売り切れてしまいそうだから買いに来たという人もいます。

お隣の富士市には多くのトイレットペーパー工場があります。

お隣の市のことですから、実際どのような状況になっているか調べることはそう難しいことではありません。

トイレットペーパーを大量買いした人たちはどのような情報を基にして行動したかというと、「噂」です。二次情報三次情報・・・ということですね。

情報に対する力を情報力とすれば。もう少し力をつけたほうが良いと思われる状況だと思われます。

 

教室を休講にするか実施するかの選択

今回、新型ウイルスに関して、学校休校の対策がとられました。

そして学習塾はどうするのかということになりました。

学校法人の学校や予備校は文部科学省管轄です。河合塾は塾ですが学校法人ですので、今回の場合は学校として該当することになります。そして多くの塾は会社法人であれ個人経営であれ経済産業省の管轄になります。

そこで、休講にするのか実施するのか、多くの塾長や責任者が、塾の規模に関わらず直面した問題となりました。

全国の学習塾がとった処置は、3つ+ひとつに大分できます。

ひとつは休講、ひとつは実施、そしてもう一つは数日休講もしくは数日実施です。

そしてもうひとつ、ZOOMやネット学習を利用したインターネットによる代講や自習環境の整備。(参考:経済産業省リンクページ【学びを止めない未来の教室】https://www.learning-innovation.go.jp/covid_19/

ふくろうの森は「実施」を選択しました。

名古屋でずいぶんと大きなネットワークで学習塾をチェーン運営している方が声をかけてきました。

「今回はふたつに分かれましたね。」「石嶌さんのところは実施ですね」

それに対してこう答えました。

「今回、実施を選択したところに吹く風は冷たいですよ」

もしこの方が、どうするか迷っているのであれば、無難な方向は「休講」だということを伝えようと思いました。

おそらく多くの保護者の方が「学校が休み」「学校の先生がこう言っていた」「ほかの塾がこうだそうだ」という情報を頼りにすると思います。

そうしたとき「何故、ふくろうの森は通常通りなんだ」と思う方も多いと思います。

ふくろうの森と同じく、この名古屋の塾の方が「実施」を選択したのであれば、冷たい風が当たり辛い思いをすることでしょう。ましてや規模としては決して小さくない組織運営をしている学習塾です、判断によっては今後の運営に大きく影響してくることでしょう。

いずれにしても、塾の責任者としては、どうするかを決めなければなりません。

 

どのようにして判断するのか

休講か実施かは、首相表明の翌日2月28日の8時55分に決定しました。

即決です。

そして静岡市で新型ウイルス感染初確認の報をうけて29日早朝同じく、そのまま実施を継続する決定をいたしました。

これも即決です。

いずれも短時間で答えを出しましたが、実は答えを出すまでには事前準備が必要でした。

それは、情報収集です。

ふくろうの森が休講するのか実施するのかを決定するのに「噂」や誰かがそう言っていたという「二次情報」「三次情報」を基にすることはできません。

できる限り1次情報が欲しい、それが無理でも極めて1次情報に近い情報を基にする必要があります。

それを集め、その情報を基にして思考する時間を作り、そして決定するときを決めました。

それが28日8:30と29日の早朝です。

 

大切なことは、自分の頭で考えることです

決定にあたっては、本当にこれで良いのかと問いかける必要があります。自分の中であらゆる状況を考え、それぞれに対して批判します。

「思い込みを可能な限り廃し、適切な根拠と論理的な指摘で改善を求めること」「対象を理解して状況の向上を目的とする事」

自分の知性や理性を見極める作業「純粋理性批判」

これらを批判といいます。

よくテレビやインターネット内で批判という言動をさしているものは批判ではなく「非難」もしくは「否定」が多いようです。間違った使いかたをしているといえるでしょう。

より良い批判をするためには、より良い情報が必要です。

受験校の決定にあたっても、持っている情報の質によって進路が大きく違ってきてしまいます。人生が変わってしまう可能性もあります。

何かの選択には情報の質はとても重要です。

「テレビやインターネットで誰かがそういっていたよ」「どこかの大手塾がこうだから」で判断するのではなく、自分で一次情報を確認しにいくなりして質の良い情報を集め、そして自分の頭で考えることです。

また「多くの塾がこうだから」などには、「何故、多く塾がこうなのか」を考えることも大切です。

今回の場合、1次情報の収集は困難なことが多いケースです。

そうしたときは、同じ要件の複数情報を見て比較していくことをします。

情報には、配信側の主観が入ってしまっていることがあります、それが小さなことでもバイアスとして働いてしまいかねません。映像情報については、切り取り加工によってそれが生じてしまうこともあります。注意すべきところです。

朝令暮改をいとわない

今回は、現在のところ実施としています。しかし新しい情報が入ってきたときは、それに対して真摯に向き合うことが大切です。

もし、一度決めたことを変更する必要があると判断したならば、それまでの経緯から変更をすることへの抵抗が必ずあります。その抵抗にも真摯に向き合い検討することです。

変更が必要と判断したら、速やかに変更する。

そして「さっき言ったことと違う」「やっぱりそうなの」という非難が必ずあります。

それを受け容れる覚悟も持って実施することです。

決定にあたっては、自らの立ち位置と本分を考える

決定にあたっては、自らの在り方を見つめ現況と照らし合わせる必要があります。

何が今必要とされているのか。自分ができることは何か。

何故、学習塾をやっているのか。

この行動は、この真意に合致しているのか。

前述した名古屋の塾チェーンの代表は私と同じ「実施」を選択していました。

そこには、しっかりとした真意がありました。

そして、今回、「実施を選択する塾には冷たい風があたる」ということは理解されての決定でした。

ずいぶんと大きな覚悟をしたものだと思います。

そうした勇気とエネルギーがあるからこそ、競争の激しい地域で学習塾の大規模ネットワークを築くことができるのだと思いました。

 

漠然とした恐怖をコントールする

不測の事態に、漠然とした恐怖を感じて、即座に行動をすることがあります。

現在の新コロナウイルスの状況に「恐怖」を感じていることは確かです。

この「恐怖」は感じなければならないと思います。

無頓着な状態で重要な判断をすることはできません。

自分自身が感じている恐怖をしっかり受け止め、そしてどうするかを考えるべきです。

人は、こうした恐怖に対して、単に本能的に動くのではなく、理性と知性を持って対応する能力を持っています。私たちの学びの目的は、こうした能力を育成することでもあります。

しかし、本能による合理的行動を無視することはできません。私たち祖先はその本能的行動を間髪無く即座に行うことで生き残ってきたという事実があります。

本能がもたらすものと理性と知性による判断をコントロールして、何をすべきかを、自分の頭で考えること。

同じ事象で、どのように行動するか様々な選択があります。それは大切なことだと思います。どれが正解か、どれが誤りかではなく、いくつかの選択があるべきなのです。

どうするか決すべき立場において、その行動によって起きた結果に対し、すべて責任を取る覚悟を持って決定することが大切だと考えています。