予習

こんにちは石嶌之広です。

霜が降りている朝、小庭から山のほうをみて深呼吸。

少し、元気が出てくる気がするこのごろです。


今回は、「予習」についてお話します。

以前、SNS友達が投稿で中学生の予習について書いていました。


SNS友達は、塾の先生や学校の先生が多いので勉強の課題がよく持ち上がります。

その中で、ある塾長先生がこんなことを投稿していました。

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ご自身の中学生時代に、塾での勉強、学校の先生の指示など以外で、
純粋に自分自身の動機や計画で「予習」をしていた先生いますか。
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正確には覚えていませんが、こんな質問です。

学習塾での学習の基本は学校授業の予習です。

この「学校授業の予習」をすることは、良い学校成績を実現するための必須活動とも言えます。

そのため、個別学習形態の塾でもなんとかして「塾では予習」という流れにしていこうと考えることが多いものです。

また、その反対に「復習が大事」という考え方もあります。

中学時代の一日、限られた勉強時間を効果的にするには

「予習」「復習」どっちがいいのか。

それを検証するための質問がなされたわけです。

大人になって教育関係に携わっている方々の中学時代はどうだったのか。

その結果なんですが、コメント欄に書かれた内容は、

自分の意志で、自分の考えで、自律的行動で「予習」をした方は、ほとんどいないというものでした。

学校授業の復習や宿題での学習で、多くの方が中学時代を過ごされてきたということです。

よく塾が「短期間で成績を上げます」と言っているとき、
「短期間で成績を上げる」ための秘密の学習方法のひとつとして「予習」があります 。

私の教室でも、普段の学習は「予習」をなんとかして行っていけるよう努力しています。

それは、テストの点を上げるためです。

でも「学習」を純粋に考えるのであれば、そして「テストの点」にこだわらないのであれば、 「予習」に執着せずに、それぞれの立ち位置で進めていけばよいのではということを現した結果かもしれません。

大事なのは、「誰れかにやらされる勉強ではなく」、「自分でやる勉強」というところなのかもしれません。


ここでいう「予習」というのは、学校の授業を基準にしています。

学校の授業を基準にするのをやめたとき、「予習」「復習」の定義が変わります。

中学校時代の勉強では、学校の授業を基準にしない、学校テストの点を追いかけないという学習方針も、個々の状況の中ではベストなことがあると考えています。


今回は、以上です。

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